COMMENT:SYS digest

2015年12月20日。
いまだざわつく会場。電子機器の向こう側に、黒づくめの衣装に身を包んだ二人が立つ。キーボード・タワーの向こうには男性が、タブレット類がしつらえられたテーブルの向こうには女性が。CanとFuyu。機能単位式POPプロジェクト「SYS」の二人である。
錯乱するような電子音の中で、機械の動作音のようなベースが音楽を産み始める。アンドロイド的な美しさを持つ二人によって紡がれる音が混沌の中を静かに縫って進む。そして、混沌を叩き割るかのようなリズムが打ち出され、アンドロイドの兄妹のような二人が、にわかに躍動し始める。
観客のノリは自由だ。ある人は縦に身を振り、ある人は酔うようにゆったりと流れに身を任せ、ある人はじっと音楽を見つめている。ステージも仕切りもない音楽の場所で、おのおのが各々のノリで音楽に身を委ねている。パッケージングされていない音楽の自由。私の顔に微笑みがこぼれる。これは……いつにもましてかっこいいじゃあないか!

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「.demodisc」には現在のSYSのありようが詰まっている。テクノにはじまる流れに耳を傾けてきた人であれば、その音楽に様々な先人たちの影が吸収されていることにニヤリとするかもしれない。それを単なる借り物に終わらせることなく機能させる力量。たしかにSYSの魅力の一端は、そういった音楽的構築力にある。しかも、若々しい。自分が愛してきたものを自分の肺の中に一杯に吸い込んで、思いっきり吐き出したようなアルバム。それぞれにやりたいことが詰まった音楽たち。
それは、SYSの若さでもある。
ここでいう「若さ」は単に未熟なことを指すのではない。「若さ」のなかにある時、人は、あらゆる可能性に開かれ、その可能性の中で揺れ動き、躍動する。が、それは同時に、様々な矛盾を内に抱え込むことをも意味する。SYSもまた、あらゆる成長の可能性の中に身を浸している。SYSという原点からあらゆるベクトルが放射されている。無限にあるかのようなやりたいことの束。それぞれに矛盾するやりたいことの束は、ともすれば、単なる「おもちゃ箱」となる危険を常に有している。
しかし、SYSは、その可能性を、すなわち矛盾するベクトルをつなぎとめる原点を持っている。
歌と言葉。作り込まれた各トラックのオケの中からつぶやくように放たれる声。あるいは、電子音の上に立ち、伸びやかに歌い上げる声。そして、その歌声にのって届けられる断片のような言葉。それは、詞というより、言葉なのだ。その言葉が、Fuyuの声と印象的なメロディーに乗って、胸に強力なイメージを生み出す。気づくと私たちの胸は開かれ、アレンジの全体に埋もれかけた声と言葉から何かをつかもうとしている。
「あの日」見つめた、朱(あか)と染まった大気。網膜が焼け付くことをも恐れず、あなたの目は、あらゆる赤を捉えて離さない。繰り返す潮騒、光を浴びた皮膚の熱、かすかに吹く風の呼吸、あなた自身の息づかい。あらゆるものが心臓のひとところに集まって、赤と輝く世界。
私は私の世界とともに生まれる。
車の中で「.demodisc」を何度も繰り返し聴きながら、そんなことを思う。特に、3.Hatouchouから4.DENSHIYOKUへの流れは、経験したことのない「あの日」を日常に蘇らせるような力を持っていると思う。

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赤と黒、現在のSYSのテーマカラーである。情熱の赤と、聖なる黒。狂おしい今に生きるパッションと高みを求める意志。そのあいだにSYSはいる。多様な可能性の中にあるSYSは、どこに向かうか分からない若さをもっている。しかし、若さは常に成長のための若さである。SYSの魅力は十分。自分たちを変えていく力も持っているだろう。いや持たなければならない。そして、もうひとつ大切なことがある。SYSの音楽が産業とは無縁のところから出てきている以上、成長の鍵の半分は、私たちリスナーが握っているのである。
というわけで、あなたも、成長し続けているSYSの世界に耳を傾けてみませんか? というのが、この文章の趣旨なのである。
どう? 一緒に。

 
Movie & Comment by 双葉亭​蒼月